発酵に感じる魅力は人それぞれですが、その出合いが人生の大きなターニングポイントになることも。「発酵食大学」の卒業生インタビューの第4回目は、京都府で甘糀専門店を営む有本 誠さん。ひょんなことから日本酒蔵で蔵人として働きはじめ、発酵食大学へ入学した経緯をお聞きします。妻の雅子さんの人生も、発酵が大きく影響しているのだとか。

発酵食大学とは?

▲発酵食大学でおこなわれる蔵見学の様子

発酵食大学は2013年に石川県金沢市で開講しました。金沢市のある本校、京都校などで発酵食を体系的に学ぶことができます。月に一回講義があり、半年間かけて学ぶメインのカリキュラムのほか、ステップアップして石川県立大学や近畿大学の大学教授から講義が受けられる大学院、気軽に参加できる通信部などがあります。

発酵食大学について詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください
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劇団員から蔵人へ。新しいキャリアで出合った発酵

▲現在は、石庭で有名な龍安寺近くで「京都かすみ亭」を営む有本さん。米と麹だけで醸した甘糀「京淡雪」が看板商品。

ーー発酵に興味をもったきっかけを教えてください。

もともと発酵とは全く縁がなく、実は若い頃に東京に出てきて劇団員として活動し、その後は山梨で大工をしていました。発酵に触れたのは、可愛がっていた後輩からの繋がりで、ひょんなことから「蔵人にならないか?」と誘いを受けたのがきっかけです。

声をかけてくれた彼は酒蔵会社の社員でしたが、最近流行りの自社杜氏(とうじ)に任命されるタイミングでした。酒蔵の全責任を負う杜氏という重積を任されることに躊躇していた彼の背中を押したことがあったんです。そのときに冗談めかして「偉くなったら、僕も雇ってね」と伝えたら、しばらくして「本当にやりませんか?」と。本当にビックリしましたが50歳にして新たな挑戦を決めました。今思うとこのタイミングがなければ今の自分はいないわけではすから思い出すと大変感慨深いです。

ーーすごい!急に飛び込んだ形ですね。

お酒は好きでしたが、まさか自分が発酵の最前線たる蔵人になるとは夢にも思いませんでした。さらに特殊だったのは、誘ってくれた杜氏以外の蔵人は私と同じ素人だったこと。通常の酒蔵は蔵人の中で序列があって、先輩の背中をみて修行しなくてはいけないのですが、私たちは全員が横並び。今思い出すと何とも恐ろしいことですが当時は意味も分かっていませんでした。しかしおかげさまで日本酒の発酵を初歩から教わりつつ、全員が様々なパートを経験して学習しながらの酒造りは毎日が本当に感動の連続でした。

10年勤めましたが、3年目からは新酒鑑評会でも連続で賞をいただけるようになり、再現性のある酒造りが続けられるようになったことは誇りです。そして酒蔵の仕事をパートの専門職としてではなく、網羅的に教わったことも今に活きています。

知るほどに疑問が増え、発酵食大学へ

ーープロフェッショナルのお仕事から、発酵大学に入学されるきっかけはなんだったのでしょう。

どんなエキスパートの人もそうだと思うのですが、勉強して突き詰めていくと、どんどんわからないことが増えてくるんです。

発酵食大学の入学を決めたのは、酒蔵を辞めて「かすみ亭」という名で独立した頃です。甘酒を飲むだけでなく調味料としても使っていただける甘糀「京淡雪」を看板に売り出して、日々甘酒を作っていました。甘酒ひとつでも、麹の種類や原料の割合、造り方などで大きく仕上がりが異なります。そうすると、知りたいことが無限にでてくるんですね。

また、手作り市や弘法市などで出店したときに、お客様からの突っ込んだ質問に答えられず、プロとして基礎から学び直したいと考えたのも理由のひとつです。

ーー実際、入学されていかがでしたか。

エキスパートの講義を聞けて、私のもっている疑問を直接質問できるのが非常によかったです。卒業後も質問を受け付けてくれますし、アーカイブで資料や文献が見られるのもありがたいですね。

学ぶ目的に加えて、交流も目的にしていました。ひとりでお店を運営して商品を作っていると、どうしても自分の感覚に偏ってしまうので、意見が言い合える仲間が欲しかったんです。コロナ禍で思うようにいかない部分もありましたが、京都校8期生と七転び八起きをもじった「八起(やおき)会」という同期会を作って、皆さんとは今でも交流があります。

妻の闘病を食生活で改善。発酵が鍵に

ーーここまではお仕事の側面をうかがってきました。普段の暮らしではどんな風に発酵食を取り入れていらっしゃいますか?

今では「発酵食を積極的に取り入れよう!」と、無理に意識はしていません。和食中心にしていれば自然と発酵食を取り入れられます。

実は食生活を見直さないといけないと真剣に考えて、食べるものを変えた転機がありました。それは妻がなんと3度目の乳がんを患ったときです。もちろん薬治療も選択肢としてはありますが、せっかく学んだ発酵や体をいたわる食生活を実践することで、妻を支えようと決めました。お肉や乳製品を控えつつ、玄米菜食・和食中心にする、砂糖の代わりに発酵調味料を使う、などを続けた結果、血液検査数値は快方に向かいました。手応えを感じると嬉しくて持続できるもので、がんを患ってから15年経つ今でも元気に過ごせています。

ーーよかったですね。

喉元過ぎればで、昔ほどストイックに食生活管理はしていませんが、その後も食習慣として発酵食を意識した生活は続けています。妻は乳製品が好きなのですが、最近は、豆乳を植物性乳酸菌で発酵させた豆乳ヨーグルト中心の特製野菜スムージーを毎朝食べています。発酵食とその効果を裏付けをもって語れるのは、これまで学んだ成果でもありますね。

麹づくりを人生の集大成に

ーーお聞きしていて、発酵がひとつのターニングポイントにもなっていそうだなと感じました。今後はどのように活動されるのですか。

年齢もあってリスク回避のために今まで麹づくりはメーカーさんにお願いしていましたが、最近ではお店に麹室(こうじむろ)を作り、生麹も販売しています。ひとりでも無理なく麹作りができるよう酒蔵経験を生かし、温度センサーなどを駆使した製麹器も自作しました。

甘酒の営業には演技力、DIYでは大工をしていた経験が活きています(笑)。

もう来年は70歳ですので無理はしたくないのですが、発酵について深く知るほどに心の中に何かが湧き出てくるようになったというか、何より誰の手も借りずに自ら麹を作り甘酒を醸すことが、紆余曲折した人生の完結と感じたからかもしれません。今の活動自体が人生の集大成なんでしょうね。

ーーお若いです。甘酒の研究も深められていくのでしょうか。

今、2倍濃縮の甘酒は色んなところで売っているのですが、3倍濃縮の甘酒は見かけません。酒蔵経験を生かした段仕込みでより糖度の高い甘酒を開発しようと思っています。そうすれば、砂糖の代わりに使っても味がボケるということも少なくなり、皆さんにお使いいただける用途がさらに広がると思うんです。

ーーまだまだ、これからが楽しみですね。今後の活動も応援しています。ありがとうございました。


有本 誠(ありもと・まこと)
1954年生まれ。桐朋学園演劇科卒業後に劇団を創立し公演活動。並行してコントグループで日本テレビお笑いスター誕生優勝・NHK新人演芸コンクール優勝の経歴を持つ。35歳で脱芸能活動して山梨でログビルダーとなり45歳まで過ごす。結婚を機に京都に帰京し酒蔵の蔵人として勤務。退職後に麹と甘酒の製造販売する「かすみ亭」を起業して現在に至る。